御座小学校編「不動尊」関係記事


その1:不動尊 (「御座郷土誌」に収録・大正十三年1924)   

 御堂は金比羅山麓接続の「コウカミ山」に在り。境内には本堂の外大師堂霊符尊堂籠堂等の建物あり、杉樹等鬱蒼とし瀧あり池あり。幽邃閑寂なる境内なり。今を去る一千百有余年延暦年間弘法大師此地に御巡錫此の霊地を選びて呪法あらせられ自ら自然席に不堂明王の尊像を刻み給ひしを村民相謀りて堂を建て信仰するに至りしより俚俗称して弘法大師爪切不動と云ふ。此の御堂の周囲の岩石及石塊にも梵字の刻めるもの数多現在す。又山頂には経塚も散見す。されど記録の存するものなきも弘法大師の御巡杖は疑ふ余地なし。かかる貴き霊地なるかなめ村民及近隣の人々の信仰大なる上に県内は勿論他府県より参詣するもの益々多きを加へ年内十数萬を員するに到る。近時京阪都市の団体の参詣者月々その数を加へつつあり。又参道の両側には桜楓の立木又梅林などありて且つ眺望僅なる所なれば清遊の地としても好適切なり。旧暦の十六日は縁日にして遠近よりの参詣人多く特に盆正月の十六日は参詣人殺到して非常なる殷賑を呈す。
 不動明王の霊験は頗る顕著なりとて護符を受くるもの多く又堂床下の土はq鼠の害を防ぐに奇妙なりとてそれを受くる者もある


その2 不動堂(爪切不動)「御座村郷土地誌」に大正13年1924以降に収録)

一 現状
  自然石に刻める不動尊像は厚板の箱にて覆ひ、上に仏像を安置し堂宇を建てて保存す。
  此外大仏堂、霊符尊堂の建立あり、境内は金比羅山の麓にあり。瀧あり池あり老樹あり。清洒として俗塵を脱せり。近村よりの参詣者毎日数十名あり。
二 由来徴証伝説
  伝説によれば延暦年間僧空海巡錫の砌、法を呪じ池中より突出せる自然石に不動尊像を爪刻し給へり、依って村民相謀りて堂を建て信仰するに至る。
三 管理保存方法
  堂宇は堂守ありて之を保管し、之に要する経費は参詣人寄付金を以て当つ。 餘金は不動堂基本金として積立て村長之を保管す。
  四月の十六日(旧暦)は縁日にして遠近の参拝者多し、特に盆、正月の十六日は参詣人殺到し、非常なる殷賑を呈す。
五 不動と本村
  村民の不動に対する信仰は意想外強きことを知る。痛みて不動、癒えて不動、祝って不動、帰省して不動、朝起きて不動と云ふが如く、万事を不動に信頼するものの如し、本村民に信仰心の強烈なるは要するに不動の存在に因するものなり、故に年中日参して欠かさざるもの十数人一身の幸福一家の繁栄等総て明王の霊力に託して悠々自適し浮世の事象は其霊力の表れと解して平然たるものなり。
  全く脱俗成仏せるものの如し。崎島地方に於ても其霊験に浴せんものをと熱烈なる信仰者頗る多し。実に南志摩に於ける第一の霊場にして信仰の中心場とす。本村教育は此点に着眼して精神教育に資せざるべからず。
六 不動堂拡張事業
  不動堂の拡張は数字に行われたるも其主なるものを挙ぐれば
   1.池塘改修
   2.籠殿増築 明治三十五年起工
   3.霊園拡張 大正十一年起工
七、不動明王の霊験
 1. 弘法大師巡錫の時不動像を刻みたりとの伝説は既記したり。爾来不動を信仰する者、霊験の顕著浸(ようやく?)説くもの続出し、郡内の諸村、対岸度会郡の諸村、南牟婁郡の漁村、知多半島並に熱田方面に其帰依者を 有するに至れり。
 2. 今より一百年前、知多半島の人、当村沿岸を航する時、矢摺島附近にて 坐礁し船底を破り浸水甚だしく将に沈没の悲運に瀕したりしに、この人常 に爪切不動を信仰し居りたるため専心其の加護を祈りたるに突如浸水止ま りたるを以て爾来船乗者並に其他一般海上生活者の信仰を増したりと云ふ。
  日露戦争、南山の役、当村出身の軍人にして不動の護符を所持したるも のあり。一日僚友と郷談に耽り護符を手にしてお国自慢中に軍旅を慰め居 りしに突然一陣の風来たりて護符を飛ばしたるため之を拾はんとしたる刹 那敵弾来りて此所に集りたる戦友斃れたるに彼は護符を拾ふ可く躰を動か したるため安全なるを得たり。爾来この偶発的奇跡の陣中に伝へらるるや 護符を請ふもの大きを加へ今も入営又は出征するものは必ず護符を受しと 云ふ。
 3. 大師巡錫して将に当地を去らんとする時村民の厚意に酬ゆるため其の希望する所のものを与へんと告げたるに村民は古来q鼠のため田甫を害せらるる事大きを以て之を除かんことを請ひたるに大師請ひを入れてq鼠の影 を見ず。一歩隣村に出するにあらざればq鼠の疾走するを見ることを得ずと、今近村のもの来たりて不動堂床下の土を持帰り畠に入るるにq鼠の害 を防ぐを得と云ふ。
 4. 郷土的美談。大正二年二月某の日、朝来天候険悪遂に大吹雪に変じ挙村 恐怖して一人の戸外に出ずるものなかりき。翌朝南岸の里浜に宿田曽の漁 船の難破漂着せるあり。兄は既に船中に凍死し、弟は濡れたる「マッチ」 を手にしたまま浜辺の枯葉、落ち散る辺に斃れ、父は十数間を距てたる畠 中に凍死し居たり。其の死状と死体の位地より推して兄は漂着前に既に饉 餓と寒波のため凍死し、弟と父は猶ほ気息余喘を保ちて着陸せしも頓に緊 張を失ひたるも勇を鼓して、弟は焚火に依て暖を取らんとしたるに所持の 「マッチ」は既に船中に於て潮水に浸りて用をなさず。軽じて薪を求め得た るも火を焚く能はず、空しく枯柴の傍に斃れ、父は食を求むべく畠まで来り しも老躯遂に寒気と疲労に斃れたるものと推断し得られ、その惨状眞悲哀を 極めたり。集りたる村人は皆同情禁ずる能はず、百方蘇生の手段に努めたる も遂に能はず徒に暗涙に咽ぶのみなりし,偶々村内蜑婦の取締をなす一婦人は浜辺に横はる次子の体を親しく検し居りしが微温の手に触るるものあるを感知し、一縷の望の属せらるるや暁天の寒風膚を刺すものあるを意とせず眉宇に希望と勇気を漂しつつ決然自ら帯を解き彼を抱きて自らの豊饒なる皮膚に密着せしめ、その体温を彼に与へ以て回生の転機を企図したり。斯ること時余、瞑目祈願猶ほ之を久しかるに命運は遂に彼の女の任侠的温情も之を容れるに到らず、哀れなる青年は遂に彼女の麗しく温き抱懐の裡に永き眠りを告げたり。
  彼の女の任侠的献身的のこの動作は一日の大半を海中に生活するその職業的同情心の体現と見るべく、彼等同業者の気風の一端を窺ふに足るものとす。



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